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日本人の討論力

 アメリカで仕事をしていると日本人の「討論力のなさ」をつくづく感じます。決して内容が悪いわけではないのですが、討論やプレゼンテーションが下手です。それに比べアメリカ人は本当にプレゼンテーションが上手です。独特の雰囲気作り、展開のうまさ、ユーモアを取り入れた内容の濃い、すばらしいプレゼンを聞くと本当にまねができないと感じてしまいます。

DiscussionやPresentation能力は、大人になってうまくなる人はもちろんいるのでしょうが、大半は子供の頃から繰り返し訓練を受けているからできるわけです。私はアメリカで小学校時代を過ごしましたが、すでに小学生の低学年から、新聞の切り抜きを持参し、その話題に関してみんなの前で発表をさせ、クラスでDiscussionを繰り広げる場面が多々ありました。皆がうまいわけではないですが、こういった環境の中で育つ人とそうでない人の違いは将来大きな差を生むことは事実でしょう。このあたりの比較・体験は以前書いたエッセイに書いてあります。

日本人が討論力を欠くもう一つの要因は「出る杭はうたれる」環境にあると感じています。「平均」を心地良いと好む国民性に加え、とにかく日本特有の「みんな仲良く」という学校教育の基本方針をどうにかしないと、良いことも悪いことでも目立った人は指をさされ、結果としてその子供の行動を委縮させてしまいます。

いじめが最近よく日本では問題になっているようですが、いじめなんてどの国にも昔からあるもので今更始まったことではありません。そもそも人はみんな違うのですから、「みんな仲良く」できるわけがないのです。そんなことができたら世界で戦争なんておきませんよ。人はみな楽器に例えるといいのです。弦楽器、管楽器や打楽器、みな音色や音量は違いますが、オーケストラとして一緒の曲を奏でたら素晴らしいわけです。(オケの多くは弦と管、通常仲悪いです)教育とは個々がまずどういった楽器なのかを示してあげることから始まり、次にその楽器をいかによく奏でるか導いてあげることだと思います。アメリカでは子供が学問のある分野が苦手だったとしても、その子に駄目だしすることは少ないでしょう。結局、弦楽器は打楽器にはなれないわけですから当然ですし、それを先生がよく認識しています。

Discussion能力の育成は楽器同様小さいころから習わないとうまくなりません。
日本では文部科学省の「質の高い大学教育推進プログラム」の中で多くの大学が「討論力養成」を目標に掲げていますことはよいことだと思いますが、大学生から養成しても遅いのです。そういったことを考えると、日本人の苦手とする「討論力」を養成するには、もっともっと小さいころから訓練することが大事になってくるでしょう。

T.S
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